notes

デザインの上と下

すてきな記事をみたので反射的にしたためてみる(仕事しろ)。
小さく考えて積み上げるデザイン思考 : could


デザインは上から来るのか下から来るのか

デザインってなんなんだという終わらない話はよくあるんだけど、それはさておき、以前こんなことをポエ散らかした(←流行らせたい)ので載せておこうと思う。

つまり、まるでツリー構造のように、上から俯瞰して、設計して、下まで統制を効かせることもデザインだし、反対に、下に転がっている「ひっかかり」を起点に、芽吹くように立ち上がらせ、蔦のようにいつのまにか茂っているようなものもデザインと言えるんじゃないかということを思った。

先ほどの記事では、前者…構築的で西洋的な考え方を前提にしているけど、それをスモールステップで、すこしずつやってみようよ、と語られているところに共感を覚えた。ウェブって結局は西洋的な、構造化と組織化の文化だと思っているので、前者の“上から”が、こと受託業としてはハマることが圧倒的におおいわけだけど、書き手のヤスヒサさんは、それをSDK的に“下から”リバースエンジニアリングしたっていいじゃないか、まずやってみようよ、とおっしゃっているように僕は受け止めた。

コンテンツは気分なのか情報なのか

エディトリアルとかウェブってコンテンツと構造を分離するのがその使命だと思うんだけど、ヒトが持っている「気分」みたいなものって、なかなかそういうケミカルな状態にはノッてこないと経験的に感じている。 それはどういうことかというと、「hogehoge.txt」みたいな抽象化された情報よりも、リテラルとビジュアルがよりないまぜになった状態 ── レイアウトされたグラフィカルな何か ── のほうが「瞬間的な情報量が多い」ということなんじゃないかなーと。

もっといろいろ愛そう

要は、もっといろいろな状態を愛でてもいいんでないかな、ということが言いたかった。このメディアはこうあるべき、という決め付けは、一部では正義かもしれないけど、実は世の中に転がっている楽しいものを見失っているかもしれない。


そんなことを書き散らかす僕も、ポジショントークからは逃れられないのだけど。それでもやっぱり、そういうパッション的なものと、社会をつなげるために、よりダイナミックレンジの広い人間でいたいなと思った。

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