notes

センスは経験だよね、のもう一歩ふかい話

またつらつらと思ったことを書いてみようと思う。
最近、デザインについてデザイナー同士で具体的な話(タイポグラフィがどうとか配色がどうとか)をするとき、気がついたら例に挙げている表現があったのでそれについて書いてみたい。


思想というよりは、スキルとしてのデザインについて考えた時、大きく「体系化されているか」「感性を定量化できているか」というふたつのベクトルがあると思っている。今回は後者、「感性の定量化」についての話。

自分の感覚をパラメータ化する

端的にいうと、こういうことになる。早くも結論が出ているのだけれども…くどくど書いてみたい。

若手からデザインのスキルアップ ── 配色ってどうやったら上手くなりますか、とか、文字をうまく組むコツはありますか、とか ── について質問されたときに、ツールをうまく使うことを推す事が多い。ツールはあくまで手法でしかなくて、本質ではないのだけど、導入としてそれをおすすめしている。どういうことかというと、デザインツールはいわゆるフレームワークになっているわけなので、自然と感覚的なものを定量化する補助具になってくれるからだ。

例えば文字組みについて。漠然とテキストを並べてもうまく組めるわけはなくて、それは自分で自分を制御できていないからじゃないかと思う。さっきツールをうまく使うと書いたけれど、もうちょっと具体的に言うと特定の機能、コマンドみたいなものを覚えるのではなくて、いわゆるAdobe的にいう「パレット」の理解をするといいと思う。文字サイズ、行送り、文字間、、、いろいろなパラメータがあって、ポチポチ押していくだけで自然と数値化=定量化できるわけだ。パレットの中にあるその項目ぶん、視覚的に表せる“モノサシ”があると捉えてもいいんじゃないか。

配色についても同様で、よくおすすめするのはHSBで色をいじってみるように言っている。媒体にあわせた色体系ではなく、色彩理論に基づいた指標なので、色相、彩度、明度…と、一軸だけを変えてみることでコンビネーションが考えやすかったりする。

どれもあくまでアプリケーションの1機能でしかなく、まったく本質ではないのだけど、ココから入ることで飛躍的に「トライ&エラー」の回数が増やせる。そして、なんとなくさわるのではなく、ひとつひとつの数値が目の前で作っているものの「パラメータ」になっていること、つまり「表現の要素」なのだということが手を動かして目で見て理解でき、それを分解して考えることができてくると、スキルの再利用ができるようになってきて、応用が視野に入ってくる。 表現は制御できるものなのだ、ということが理解できてくると、圧倒的にデザインがうまくなる。そしてそのデザインを因数分解できるようになってくると、ディレクションがうまくなる。

僕自身、デザインの教育を受ける前にAdobeに触れて、独学でいろいろ作ってみたりしていたのだけど、それが絵の素養のない自分には良かったと思っている。とはいえ、「ツールを極めるのが趣味」みたいになっている人もいるので、そうはならないように気をつけたい。あくまでデザインツールは「表現の“指定”」をするためのものであって、デザインそのものではないし、 ましてやそれが目的になってしまっては、わざわざ自分を作業者の枠に押し込めることになる。大切なのは、スキルがついてくるまではなかなか漠然として捉えにくい、表現をコントロールすることをしやすくしてくれる、最適化されたツールがデザイン用アプリケーションなのだ、ということだと思っている。そして、疑問が生じてきたら、より深い知識を自分でアップデートすればいいんじゃないだろうか。

商業デザインとは統制だ

なんか大きいことを言ってしまった。デザインはいまビジネス志向になっている。いかにビジネスのレイヤーでデザイン的な試行錯誤ができるかが問われている。デザインの文脈で大事なのは、ラディカルなトライ&エラーの繰り返しと、それを具体的なかたちに定着することだと思うのだけど、その「発散と収束」でいうところの収束は、統制…つまりガバナンスであり、デザインのルール化だと考えている。ガチガチに固めるレギュレーション思考ではなく、柔軟で拡張性を織り込んだシステム的思考。

その文脈でいうと、ルール化はとてもいま大切になっていて、いろんな分野で再注目されていることだと思う。デザインのシステム化・ルール化もけっこうな歴史があるけれど、いまの速度感で、どう現場に落とし込むかについて日夜いろんな人がいろんなことを言っている。

ルール化というと面倒な感じがして違和感のある人もいるかもしれないけれど、要はポエムを現実的にする、ということなんじゃないかなと僕は考えている。いきなりポエムを、思想や空想、ビジョンを語りだすとただのきれいごとになってしまってまわりをシラケさせる。でも、どんなものにも思想は重要。思想のないモノはただのゴミになってしまうし、悪貨は良貨を駆逐させる。価格競争は地獄だ。それをただの夢物語、机上の空論にするのではなく、みんなが現実的にイメージできかたちにできる言い方に変えてあげる…そういうことがデザインのルール化であって、デザイナーの役割の一部分じゃないだろうか。

自分が腹落ちしたものを他人に伝える

デザインは感性的な仕事だ。定量化できないものを、定量化できるように変換したり、アレンジしたり、言い換えたりする。なんともいえない感情や気分をうまく落とし込むのは、いわゆるグラフィック系のデザイナーが得意な分野だと思う。感性的なもの侮るべからず。どんなプロダクトも、結局は人が使うもの。その体験には情緒的な視点や、論理的でない視点が挟まれる。そういうものをうまく言語化し、かたちに落とすにはフィルターとなる自分自身が「腹落ち」して納得していることが必要不可欠になる。デザイナーが理解できていなかったり、納得できていないものは如実にアウトプットに現れる。正直、だいたい見れば伝わってしまう。

デザインする対象をいちど自分の血肉として消化して、その上でアウトプットをする必要がある。そんなとき、理解をしたぶん自分自身がモヤモヤと感性的になりがちだ。だからこそ、感覚的なものを定量化=パラメータ化する力がとても大事なのだと思っている。

センスとは

よく、デザイナーはセンスがいいとかわるいとか、そういう話になることがある。センスというものは確実に、ある。実際ある。はじめから勘のいい人もいる。けれど、あとからグイグイ追い抜いていく人もいる。そこで何が起きているかというと、その分野で見聞きした情報量の多さと、それを自分自身の感覚にできているかどうかの質が掛け合わさったものがセンスというかたちで現れているんじゃないかと考えている。結局のところ、センスとは経験値のあらわれでしかないのだ。

たくさんのものを見ていれば自然と目利きになってくるし、それを自分なりの解釈にのっとってモノサシ化できていれば、別のものにも応用できる。必死にたくさん目と手を動かせば、モヤモヤを形にするスキルがついてくる。これをはじめの話に繋げると、自分のなかに溜め込んだ感覚的なものを、なんらかパラメータ化して定着したりいい塩梅にコントロールしたりすることができれば、それはセンスがある、というふうに見えるんじゃないだろうか。

両利きが大事

ここまで、表現をどうパラメータ化して、定着するか、そしてその重要性について書いてきた。ただあくまでも重要なのは、「感性的なものを定量化する」ということであって、ポエムを現実解に落とし込むということだ。極論するとポエムこそが大事なのだ。ポエム万歳。みんな思想を語ろう。

その一番大切な、ものの捉え方や考え方、気分のようなモヤモヤした思想を、いかに製造や、経済に乗せていくか。そういうところにセンスのありようが出てくるし、デザイナーという職業が必要とされているところなんじゃないかなと感じている。

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